【第8回パーソナルトレーナー独学のすすめ】ゲシュタルト心理学のすすめ

独学のすすめ
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独学のすすめ第8回は『ゲシュタルト心理学のすすめ』

ゲシュタルト心理学は心理学にととまらず、いろんな業界で取り上げられます。

ですがこうした取り上げられ方は、ゲシュタルト心理学の代表格ヴェルトハイマーの言葉を借りるなら、少し皮相的な印象。

皮相的とは物事の上っ面、表面だけしか捉えていないという意味です。

トレーナーは往々にしていろんな概念のガワ(上っ面)だけを取り出し切り貼りして物事を説明しようとする傾向があるので、そういう引用の仕方は避けたいところ。

さて良くも悪くもトレーナー業界でも取り上げられるゲシュタルト心理学ですが、まず第一にトレーナーが引用しがちな概念や理論は何かと言いますと、以下が挙げられます。

  • 「部分から全体へ」
  • ゲシュタルト=形態、まとまり
  • アフォーダンスとの接続
  • その他システム論的アプローチとの関連

これらはよく運動制御だったり身体動作を説明する際に用いられる概念だったりするんですが、この前史としての側面を持つのがゲシュタルト心理学です。

ゲシュタルト心理学は「部分は全体の総和とは異なる」で有名ですし、冠する通りゲシュタルトについて語っています。

またアフォーダンスのJ.ギブソン(1904-1979)は、教員時代の同僚にゲシュタルト学派のクルト・コフカがいたこともあって、ゲシュタルト心理学の影響を強く受けています。[1]

ただ、運動制御や身体動作などを説明したいがためにゲシュタルト心理学を取り上げるのはいささか不自然と言わざるを得ません。

どういうことか。

ゲシュタルト”心理学”はあくまで心理学として醸成された学問ですからトレーナーとの接続は少し難しいものがあるんです。

また『ゲシュタルト心理学』がそれらを説明するのに唯一のものかというとそういうわけでもありません。

つまり不自然というのはもっと接続しやすい理論を差し置いて取り上げている点にあるわけです。

これがゲシュタルト心理学ならではのニュアンスでしか説明できないものであればまだしも、皮相的にとどまるのであればあまり格好の良いものではありませんよね。

たとえば、かの有名なマイネルや金子の運動学はゲーテの形態学との接続やフッサールやメルロ=ポンティの現象学との接続が見て取れます。
※こちらについてはまた別の機会にお話していきます。

運動学習や運動制御に関してはこちらのほうがポピュラーだったりしますね。

なかしま
なかしま

やはりトレーナーが用いるとしたらゲシュタルトという概念ぐらいでしょうか

そこには触れず、説明的で耳馴染みの良い『ゲシュタルト心理学』にいくのは、ただ道具的な利用がしたいのだと宣言しているようなものです。

ゲシュタルト心理学を引用するとそれっぽく聞こえるので使いたくなる気持ちも分かりますが、表面的にとどまらず中身について見ていきましょうというのが今回のテーマ。

中身を見ていけば、トレーナーとの接続が可能なところが見えてくるかもしれません。

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ゲシュタルト心理学とは

ゲシュタルト心理学とは、「諸部分の特性は全体に対してもつ関係に依存し、部分の性質は全体における場所、役割、機能に依存する」という関係原理を強調した心理学派です。

そうした全体では、諸部分がある法則に従って体制化して、ひとつのまとまりひとつの単位として知覚されるということを述べています。

それらゲシュタルト(形態:まとまり)は全体について知覚可能な特徴ではあるが、部分の単なる総和と同じものではないという表現として「部分は全体の総和とは異なる」[2]が有名ですね。

このゲシュタルト心理学は、M.ヴェルトハイマー(1880-1943)K.コフカ(1886-1941)W.ケーラー(1887-1967)の3人によって作られ、K.レヴィン(1890-1947)と合わせてこの4人が代表的です。

 4人のゲシュタルト心理学者

  1. マックス・ヴェルトハイマー (1880-1943) 
  2. クルト・コフカ (1886-1941)
  3. ヴォルフガング・ケーラー (1887-1967)
  4. クルト・レヴィン (1890-1947)

つまり一般にゲシュタルト心理学者といえばこの3人もしくは4人を指すものです。

この3人は同じベルリン大学でC.シュトゥンプ(1848-1936)のもとで学んでおり、そこでいわばゲシュタルト心理学の基礎を醸成させていったんですね。

ヴェルトハイマーのひらめき

物語の始まりはヴェルトハイマーです。

ヴェルトハイマーは休暇での旅行中にウィーンからラインラントへ向かう列車のなかで突然ゲシュタルト心理学の原点的な発想をひらめきます[3]

居ても立っても居られなくなったヴェルトハイマーはフランクフルトで途中下車をしておもちゃ屋で小さなフェナキストスコープ(驚き盤)を買い、ホテルの一室で繰り返し繰り返し回したそうです。
※フェナキストスコープとはアニメーション機器の元祖のようなもの。このフェナキストスコープに備わっている原理こそゲシュタルト心理学の原点とも言える仮現運動です。

さてフランクフルトで途中下車をしたヴェルトハイマーはF.シューマン(1863-1940)のいるフランクフルト大学を訪ね、そこで研究を行いました。[4]

その後コフカ、ケーラーがベルリンからフランクフルトを訪れ、1912年の論文に必要な実験が終わるまで滞在し被験者となりました。

そうして出来上がった論文が『運動視の実験的研究』(1912)、これがゲシュタルト心理学における最初の論文だと言われています。

かくして3人のゲシュタルト心理学者が誕生したわけですが、もちろんそれぞれに特色のようなものがあり、全員同じことを言っているわけではありません。

それらの中から、トレーナーとして考えていくと面白いトピックを取り上げてみます。

その前にまずゲシュタルト心理学の前史について触れていきます。

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ゲシュタルト心理学前史

ゲシュタルト心理学を語る上で欠かせない人物にはエーレンフェルスシュトゥンプがいます。

シュトゥンプは先に上げた人物でベルリン大学で後のゲシュタルト心理学者を指導した人ですね。

オーストリアグラーツ大学のエーレンフェルス(1859-1932)は1890年に刊行した論文『ゲシュタルト質について』で初めてゲシュタルトという言葉を用いました。

エーレンフェルスは「部分は全体の総和以上のものである」としており、たびたび混同されますが、ゲシュタルト心理学では「〜総和とは異なる」であるとケーラーは述べています。[5]

またこのエーレンフェルスとシュトゥンプはともにF.ブレンターノ(1838-1917)の影響を受けていますが、このフランツ・ブレンターノの名前はいずれまた出てくるので覚えておきましょう。

その他では、ゲーテはゲシュタルト心理学者よりずっと前にゲシュタルトという言葉や概念を用いていたし、ウィリアム・ジェームズも全体性を重視するといった特徴を持っています。

こうした前史から言えることは、冒頭で述べたようにゲシュタルト心理学がトレーナーにとって唯一無二ではないということ。

ゲシュタルト心理学の重要性は心理学史においてはたしかなものですが、トレーナーの引用元としては少し接続が難しいと言えます。

これはソフトとハードの関係もあります。

心理学的立場というハードがあってのゲシュタルト心理学(=ソフト)ですから、トレーナーが取りうる立場(ハード)では上手に利用できません。

しかしその功績はたしかなもので、実験心理学の父ヴントを代表とする構成主義に対する批判として、またそれぞれのゲシュタルト主義者がそれこそギブソンメルロ=ポンティに与えた影響、認知心理学や社会心理学などに与えた影響は計り知れません。

「ヴントに対する批判」に関して、ヴントをイチから説明するとなるとさらにまた数人説明しなければならない人が増えるのでかいつまんで解説します。

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実験心理学の父ヴント

実験心理学の父ともよばれるヴントの功績は、心理学を学問として成立させたことにあります。

それまで心理学は哲学的心理学であり科学にはなり得ないという論調でしたが、ヴントは見事実験科学としての心理学を体系化しました。

ただその手法に問題があって、やはり色んな批判に晒されるわけです。

まずヴントは心理学は魂とか精神だとかじゃなくて意識を扱うものだとしました。

そして意識とは感覚と感情の複合体からなると考え、意識を解き明かすにはそれを分解した要素である感覚や感情に迫れば良いと考えました。

どう迫るかというと外部刺激を与えてそれに対してどう反応したか、どう経験したかを被験者自身に観察させて記述させるという方法(内観法という)です。

経験の客観的内容である感覚とそれに伴う主観的な感情とが意識であり、内観法によってそれに迫ることができると考えたわけです。

内観法は自分自身の意識内容を観察して報告するわけですから当然バラつきがあります。

そうなっては意味がないために被験者は十分に訓練を受けていたそうです。

ヴントのこうした一連の方法や考え方が批判を受け、それがさまざまな心理学領域への展開へと繋がっていきます。

以下に挙げておきます。

発展した三代潮流

  • 心理学が扱う内容を意識としたことに対する批判としてフロイトを代表とする精神分析が立ち上がりました。
  • 意識内容という見えないものを扱うのではなく目に見える行動を扱おうという考えからワトソンの行動主義(パブロフなど)が生まれました。
  • 全体を部分に分解して解釈しようとしたことに対して全体性や形態を重要視するゲシュタルト心理学が発展しました。

  • 意識ではなく精神を重視する立場が生まれた → フロイトの精神分析学
  • 客観的に観察できる「行動」を対象とすべきという考え → ワトソンらの行動主義
  • 要素に分解するのではなく全体性が重要だという立場 → ゲシュタルト主義

後の潮流・発展を考えればヴントの成し遂げたことは重要な大仕事だったと言えます。

ではここからはゲシュタルト心理学者のそれぞれの仕事を、特にトレーナー目線で有用なものを見ていきましょう。

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ヴェルトハイマーの生産的思考

それを説明する前にいくつかの法則について解説していきます。

まずは体制化です。

体制化は「関連する情報はまとまりとなって処理、知覚される」という法則です。

いくつかの要因が影響してこの法則性が成り立つのですが、上の画像を見るとわかりやすいかと思います。

黒の○とオレンジ色の○が並んでいますが、パっと目にしたときにいくつかのグループ分けがなされていることに気づきます。

これが全てではないですが、このように物事というのは我々が意図するしないに関わらずグループを作るように知覚されるという法則があるのです。

この体制化はさらにプレグナンツの法則という、体制化が簡潔・単純な方向に向かって起こる原理の影響を受けます。

体制化のさまざまな要因が複数働く結果、全体として最も簡潔な、最も秩序あるまとまりをなす傾向にあるという原理です。※これをヴェルトハイマーは「よい〜」と表現しています。

そしてヴェルトハイマーはそれが知覚だけでなく思考にも当てはまると考えました。

これを生産的思考と言います。

ある問題を解決しようとするとき、既存の知識や経験に頼らず新たな、よい・・解決方法を生み出す思考様式を生産的思考と言います。

そのためには「中心転換[6]という、いわゆる物の見方が180度変わるような働きが重要になります。

これについて『生産的思考(1952)』からヴェルトハイマーが目にしたバドミントンをする2人の少年についての考察[7]を参考にしてみます。

バドミントンの少年

バドミントンをしている12歳と10歳の2人の少年がいます。

12歳をA、10歳をBとします。

数ゲーム終えた段階でBは一度も勝てません。

AはBが返せないほどのサーブを打つのです。

するとBはもうやりたくないと言い、ラケットを投げ座り込んでしまいました。

ヴェルトハイマーはここで話を中断し、被験者に問うと言います。

「Aはどうしたらいいだろうか?」と。

すると被験者は、具体的な返答を避けるのだそうです。

さらに直接的な答えを求められると、多くの場合示唆的な答えであり、また思考の努力の必要がない『以前見聞きした事柄』を述べてみたり『ある既知の行動規則の適用』や『教育心理の過程』などから答えます。

つまり自らの経験や知識、信条などから、いわばテンプレート的な回答を行うということです。

たとえば、

「年下の少年にチョコレートを1枚やるといいなさい」

「BがAと対等に戦える他の種類のゲームをやりなさい」

「AはBをきつく叱りなさい。Bは男らしさや我慢強さを学ぶ必要がある」

「ハンディキャップをつけたらいい」

「AはBに対し自分の能力を振る舞わないと約束しなさい」

といった調子です。

時代的なものもありますが、これらの回答はたしかにAがやるべきこととして間違っているわけではありません。

しかしヴェルトハイマーが述べた後に起こるAの思考の転換はそのいずれにも当てはまらないものです。

続きを見てみましょう。

  • 当初Aの思考の中心は「遊ぶことが好きで勝ちたい。サーブで敵を翻弄するのが楽しい」

  • そんなAにとってやめたいと言うBは妨害者である

  • ところがBの悲しそうな表情を見てAの心情に変化が生じる

  • 自分のBに対する扱いが公平で友好的でもなかったと感じ、「Bが正しいのではないか」と思うようになった

  • Bに打ち返す機会を与えないようにサーブすることは自分の上手さを表現するものだったがそれ以上の意味を持つ事柄になった

そう考えたAはBに対し、ゲームを中止し謝罪しますが、Aにはある2つの相反する考えが生じます。

それはゲームに含まれる両価性によるものです。

一緒に楽しい時間を過ごし、良い友だちになること

相手を打ち負かし、勝つということ

これはゲームに含まれるもので、どちらが誤りというものでもありません。

さて、こう考えたAは一言「どうしてもかなぁ…」

ヴェルトハイマーは曰くこの言葉は、真正面から問題を捉え「どうすれば変えられるか」「どうすれば敵意なくやれるか」「どうすれば対抗しないでやれるか」という考えの現れです。

その後いい考えが浮かんだといいAはこう提案します。

「2人の間で羽根を何回続けてやり取りできるか、落とさずに何回やりとりできるか数えてみよう」

「それも楽なサーブから始めてそれをだんだん厳しくしてみよう」

するとBはこれに同意して2人でまたバドミントンをしますが、2人に敵意はなく、手厳しいサーブを打っても険悪になることはなかったようです。

中心化と中心転換

当初AはBとのバドミントンという全体的な状況(環境)のなかで、思考と行為の上でもその意味・役割・機能においても『自分のエゴ』が中心にありました。

その中心において、遊ぶのを拒否するBは妨害者であり、ゲームは自分の能力を示すもの、勝つためのものです。

が、Aは自分の考え方に固執していませんでした。

そのため、その状況および環境がBに対して、または中心としてのBにどのように見えているかに気づいたのです。

これがつまり元の中心化された思考と転換された中心であり、この中心転換された構造においては、Aはいまや自分を全体のひとつの部分として、Bにとっていい人ではなかったと見るようになりました。

さらに発展すると、ゲーム自身の特質や問題が思考の中心になり、AもBも中心ではなくなり、ゲームに関連するように変わっていきます。

ゲーム(バドミントン)において、適切に働く『対抗』や『相手を打ち負かす試み』は、現在の状況には適さないものに変わり、それについてどう対処できるか?へと思考を進めさせました。

“競争から共同”“わたし対あなたから我々”へ部分としてのAとBはもはや全体において共通の目標に向かう仲間となります。

それによって、もはやサーブはBを打ち負かすためのものでなくなり、相手の失敗は嬉しいものではなくなりました。

これは視点が変わるという話ではありません。

視点を変えるというのは、バドミントンをするAやBに対して被験者(第三者)が行ったアドバイスからでも導けるものであり、またB目線に立って考えるようなものです。

視点を変えても変えなくても行ったり来たりしても良いのが視点の変更ですがそうではありません。

そうではなく、新たな中心が生まれるところに視点が巻き込まれるようなことが起きています。

AはBとのバドミントンにおいて前の視点に戻ることはなく、またBから見たAという視点で考えを改めたわけではありません。

Bとのバドミントンにおける新たな視点が形成されたといったところです。

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中心転換の活用

トレーナーとして考えるなら、この中心転換には活路が見いだせるかもしれません。

というのもこのバドミントンの少年Aの中心転換がBの技術的な向上にも繋がっているからです。

數日後に私は彼らが遊んでいるのをみかけた。Bの遊戯の仕方は非常に進歩していた。それはほんとうのゲームになっていた。

ヴェルトハイマー(1952)「生産的思考」、岩波現代叢書、 p.174

これは中心転換が技術を向上させるものだとか、何かしらの達成を伴うものだと言いたいわけじゃありません。

ですが状況、環境、文脈などからよりよい・・構造へと転換できれば、その構造・文脈においてよりよい達成が得られるはずです。

トレーナーとクライアントのセッションという状況は往々にして当初のAとBの関係のように一面的になりえます。

たとえば停滞・プラトーに陥っているときにはトレーナーのそうした態度が原因である場合があります。

すなわち、トレーニングに固執してしまってトレーニングのためのトレーニングを指導するトレーナーなどです。

そこから脱却するには、トレーナー・クライアント・状況(環境・文脈など)といった相互関係しあうセッションシステムに違う作動が生まれなければなりません。

中心化と中心転換はそこに重要な示唆を与えてくれるはずです。

トレーナーは考えや視点を固定させてしまってはなりません。

もしセッションが上手くいってない場合、自身の中心化された視点を眼差してみましょう。

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参考文献

  1. ステファン・コイファー,アントニー・チェメロ著『現象学入門』(2018)勁草書房p.175
  2. W.ケーラー著『ゲシタルト心理学入門』(1971)東京大学出版会
  3. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24818743/
  4. M.ヴェルトハイマー著『心理学史入門』(1971)誠信書房p.197
  5. W.ケーラー著『ゲシタルト心理学入門』(1971)東京大学出版会p.10
  6. ヴェルトハイマー著『生産的思考』(1952)岩波現代叢書p.178
  7. ヴェルトハイマー著『生産的思考』(1952)岩波現代叢書p.167-181

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